2005年12月30日
高松市はトキ新にある「讃岐家」さんが28年間の営業を終え
られました。
今まで、おいしいうどんを食べさせて事への感謝を込めまして、
「讃岐家2005年12月30日」のページを作りました。
ここでは、今までいろいろと撮影させてもらった写真により、
思い出紹介をしたいと思います。
なお、30日ご来店の登場人物は、まるわかり伏せ字にて文中に
登場しています。
許して下ちい。
現在、讃岐家さんが紹介されている本で、最も古いのはこちらでしょうか?
この中では、大将は43歳と紹介されています(笑)。でもお顔は今と一緒・・15年もたっているのに(^_^;)
さて、そんな讃岐家さんが、28年のうち、最初にお店を構えられた塩屋町で7年・・・今の場所が空いたそうです。(A布C江のN坂さんが声をかけてくださったそうです。N坂さんもさぬきうどん界(そんなんあるんか)の人ですねぇ(笑))
で、こちらで21年間営業をされたそうです。
ちなみに、12月30日夜の部、1番乗りはN坂さんで、そのときに上記の話を伺いました。
そうこうするうちに17:30です。(えーすいません、17:10から来てました。)
その間の話・・・・
大将:「みんなおかわりするんで、予定が立たんのや。」
N坂さん:「1人2杯までにしてもらおう。」
私:「POP書いて冷蔵庫に張りましょ(爆)」
などとバカ話をしておりました。
25分頃にHやしくん登場です。隣に座られました。何を食べるかみんな迷っています。そのときには10人以上来店されていました。カウンターは他にはNIfty組の方でしょうか?それと、常連のお姉さん。
さて、最終日なので、やはり基本は「かけうどん」だろうと、お願いしました。
「最終日やから」という思い入れもありますが、いやぁすごい麺でした。思わず「旨っ!!」と言うてしまいましたから・・・・・。
やはり、このまま帰る訳にはまいりません。
「恐るべきさぬきうどん」で一躍有名になった、讃岐家の代名詞と言うべき「なめこおろしうどん」を食べとかんといかんやろう・・・と、
注文を致しました。
待っていると、次の知り合いが愛知県からやって参りました。
「おお、N田ちゃん、来たんか!」
「ええ師匠、広島から、帰ろ思とったのに話聞いて急遽来ましたがな。」
(注:N田ちゃん・・・大将入院の際に、病室まで見舞いに行った県外うどんファンの鏡(笑))
そうして。続々とお客さんがやってきます。長居もできんので、一時退散を致しました。
団長たちは18:30頃のご来店だそうです。その筋では有名なB府ちゃんは現在Hっちゃくくんと共に、徳島は名麺堂さんにいるとの連絡が入りました。あと1時間くらいで到着の模様です。
という訳で、18:30まで、酒仙人に酒を呑みに行きました。
さて、ここで、今治はO田さん(この人も濃い:本日昼に初ご来店&最終ご来店(^_^;))のリクエストがあったので、讃岐家2階写真集を掲載致します。
さて、そうこうしておりますとB府ちゃんたちやら、団長たちがご来店された模様です。
ご挨拶に向かいますと、麺通団の面々、団長のご家族、S原くん、B府ちゃん、Pんちゃん、Oはじー、Hっちゃくくんらがいらっしゃいました。他にもたくさんの方で既に2階は満席です。
平成こんとん食堂の時にもありましたが(笑)
私:団長こんばんわ
団長:おおF田くん、灰皿ないんやけどどっかにないか?
私:あ、申し訳ございませんどうも失礼致しました。すぐお持ち致します(爆)
と、すぐに団長に仕事を振られます。なんだろう、あれ(^_^;)
ひととおりみなさんに挨拶をしてから、酒仙人に戻りました。
しばらくしてN田ちゃんが来店、荷物を置いてポカ湯へと・・・・・。
小一時間ほどすると帰って来まして、またしばらくすると表で聞いたことのある声がしているやうです。
出てみると、B府ちゃんたちがいました。
早々に玉切れになり、28年の幕を閉じられたそうです。
ありがとう讃岐家さん。
余談:昨日(1/5)JR四国の社長とお会いする機会がございまして、讃岐家閉店の旨をお教えしましたら、「20日すぎに行った時は張り紙なかったぞー。」との事、なかったですねぇ(笑)
余談その2
今や食べることはかないませんが、大将が「なめこおろしうどん」に続き、新メニューを考えていらっしゃった事がありました。その試作品がこれです。名付けて「冷風麺」
余談その3:近年の歴史の中には、こんな心温まる出来事もありました
2000年初冬撮影